旗手怜央さんは、プロのサッカー選手です。
2022年1月現在は、
スコットランドのサッカーリーグのセルティックFCに所属しています。
今回は、家族の話です。
このページでは、
「父親は有名野球選手?」「母親も運動神経抜群?」
「姉も運動神経抜群?」などについてお伝えします。
どうぞ、ご覧ください。
目次
旗手怜央はハーフ?wikiプロフィール
画像引用元:https://www.frontale.co.jp/profile/2018/mem_35.html旗手怜央はハーフ?
苗字と名前がめずらしいからなのか、
「旗手怜央はハーフ?」と一部の人は思うようです。
毎日新聞のWEB記事に掲載されている写真と、
家族情報を見る限りでは、
旗手怜央選手は日本人(ハーフではない)ですね。
画像引用元:https://mainichi.jp/articles/20210718/k00/00m/050/029000c父親の名前は「旗手浩二」さん、
母親の名前は「旗手さゆり」さんです。
旗手怜央のwikiプロフィール
旗手怜央のプロフィール
旗手怜央選手のwikiプロフィール
- 名前:旗手 怜央(はたて れお)
- 生年月日:1997年11月21日(2022年1月現在、24歳)
- 出身地:三重県鈴鹿市
- 身長:171cm
- 体重:70kg
- 血液型:A型
- 学歴:静岡学園高校→順天堂大学
旗手怜央選手の経歴
ここでは、
旗手怜央さんのサッカー選手としての経歴を紹介していきます。
中学生時代の旗手怜央選手は、
四日市FCでプレーしていました。
静岡学園高校の2年生のときに、
全国高校サッカー選手権に出場してベスト8進出。
画像引用元:https://web.gekisaka.jp/news/detail/?229350-229350-fl
地元の三重県の高校に進学せずに、
静岡学園高校を選んだ理由について旗手怜央選手は次のようにコメントしています。
「プロになりたい、うまくなりたい、という気持ちを優先したかった。」
「個の技術を一番大切にしていて、プロの選手を多く輩出している静学を選びました。」
順天堂大学の3年次にJリーグクラブの練習に参加して、
旗手怜央選手は川崎フロンターレ(Jリーグ)に入団内定。
画像引用元:https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20180713/793358.html
2020年に川崎フロンターレに入団して、
プロ生活をスタート。
画像引用元:https://www.sanspo.com
2021年12月31日に、
スコティッシュ・プレミアシップのセルティックFCに移籍。
2022年1月17日には早々と、
旗手怜央選手はハイバーニアンFC戦に出場しています。
画像引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles
旗手怜央の父親は有名野球選手?
画像引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles旗手怜央の父親は有名野球選手?
旗手怜央さんの父親は、旗手浩二(はたてこうじ)さんです。
1966年10月25日生まれ(55歳)で、現役の選手ではありません。
有名野球選手かどうかで言うと、
「高校野球のファン、社会人野球のファンであれば知っている人も多いと思います」
という感じです。
経歴としては、
NPB(日本プロ野球)の経験はなく、
PL学園高等学校、法政大学、社会人野球(本田技研鈴鹿)、
社会人野球指導者という道を歩んでいらっしゃいます。
現役時代のポジションは、ショート(遊撃手)とセカンド(二塁手)。
PL学園での旗手浩二(旗手怜央選手の父親)さんは、
清原和博さんと桑田真澄さんの1年上の先輩です。
画像引用元:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63106
本田技研鈴鹿時代(の旗手浩二さん)は、
湯舟敏郎さん(元阪神タイーガース・左のエース)と同期。
画像引用元:http://www.yakyu-niki.com
選手を引退したあと旗手浩二さんは、
本田技研鈴鹿の監督も務めていました。
画像引用元:https://twitter.com/hm102/status/1466626297657176064父親とのエピソード
画像引用元:https://twitter.com/u18youthsoccer/status/1297558437144834048NPB(日本プロ野球)でのプレーはないものの、
昭和の高校野球では伝説的なPL学園で甲子園大会に出場しているので、
メディアは「PLの旗手の息子」と旗手怜央選手のことを記事にする傾向がありました。
どんなにサッカーでがんばっても、
父親の名前が先に出るのが旗手怜央選手は悔しかったそうです。
次のような記事もありました。
画像引用元:https://www.sponichi.co.jp/soccer/news静岡学園時代の旗手怜央選手はずっと、
『PLの旗手の息子』と記事に書かれないようになるためには、
「自分が父より上にいけば」と思っていたそうです。
しかし、
「父親は甲子園で準優勝だったので、自分は全国優勝しかない」は、
果たすことはできませんでした。
その後、
旗手怜央選手が順天堂大学で活躍しても、
U-24日本代表で東京オリンピックも経験しても、
メディアはまだ「PLの旗手」という紹介を使い続けています。
旗手怜央の母親・姉も運動神経抜群?
画像引用元:https://web.gekisaka.jp/player/?36545-36545-eup&code=hatate旗手怜央の母親・姉も運動神経抜群?
「旗手怜央の母親・姉も運動神経抜群?」については、
詳しいエピソードは語られていません。
取材記事に出てくるのは、
母親の影響で、
姉といっしょに旗手怜央選手も、
テニスをやっていたことがあるという話。
どれくらいのレベルでテニスをやっていたのかについては、
まったく情報がありません。
他には、
母親はバレーボールや乗馬もやっていたと答えているインタビュー記事がありました。
画像引用元:https://www.soccerdigestweb.com/news/detail2/id=61135このような話で取材者からは、
「(旗手怜央選手が)身体能力が良いのは遺伝かもしれないですね」と言われるようです。
旗手怜央さんの母親の名前は、
毎日新聞(web版)の有料記事の中で「さゆり」と出てきます、
静岡学園高時代に、
取材者から「お父さんはあのPLの旗手」と言われたことによって、
初めて父親の野球の実績を知って、
旗手怜央選手は母親に確認をしたという話のときに(母の)名前が出てきていました。
旧姓の苗字がわかれば旗手怜央選手の母親について、
テニスやバレーボールで活躍していたことを調べられるかもしれないのですが、
まだメディアでは明かされてはいません。
母への手紙
ファッション誌『STORY』のオフィシャルサイト」で、
旗手怜央選手は三笘薫選手とともに、
「お母さんへ感謝の手紙」という企画で対談をしています。
画像引用元:https://storyweb.jp/lifestyle/172908/
意外なのは「ママ」と呼んでいる(宛名)ことでした。
画像引用元:https://storyweb.jp/lifestyle/172908/対談の中で旗手怜央選手は、
「高校の時に家を出て寮に入ったから、その頃から母親のありがたみを知った。」
「寮から実家に帰った時に食べた母親のカレーが美味しすぎて、頑張れって言われてる気がしていた。」
母への思いを言葉にしています。
スコットランドのサッカーリーグのセルティックFCに移籍した旗手怜央選手は今、
大きく飛躍することを願われているところです。
両親への恩返しというストーリーを描く、
2022年にもなるでしょうね。
まとめ
2022 FIFAワールドカップは、2022年11月21日からの予定。
大きな舞台で活躍できるかどうか。
年齢的にチャンスな旗手怜央選手にとっては、
エキサイティングなシーズンになりそうですね。
