サッカー日本代表として活躍してきた久保竜彦さん。
高い跳躍力とスピードを持ち、
派手なプレースタイルですが試合以外は基本的に寡黙で謙虚なんだとか。
そんな久保竜彦さんの娘さんは2人おり、サッカーとテニスが凄い?
また嫁は美人で馴れ初めは高校とか?
見ていきましょう。
目次
久保竜彦のプロフィール&経歴
https://www.instagram.com/久保竜彦のプロフィール
- 本名:久保 竜彦(くぼ たつひこ)
- 愛称:タツ、ドラゴン
- 生年月日:1976年6月18日
- 出身地:福岡県朝倉郡筑前町
- 身長:181cm
- 体重:73kg
- ポジション:FW(センターフォワード)
- 利き足:左足
久保竜彦さんは、地元の筑前町で
幼い頃から自然と遊びの中で野球をしていました。
ショートやサードを守っていた右打者だったのだそうです。
しかし、小学3年生の時に遊具で遊んでいた際小指を骨折してしまい、
グラブをはめられなくなったことから、
小学校4年生になりサッカーを開始。
中学入学後もサッカーを続けましたが、
当時の久保竜彦さんに誰もサッカーの基礎を教えなかったといいます。
そして吉浦茂和さんの指導力の評判を聞きつけ、筑陽学園高校へ入学。
https://www.juniorsoccer-news.com/post-678570
吉浦茂和さんは久保竜彦さんの今後を思い、
その潜在能力を潰さないよう最低限の技術や戦術を指導したといいます。
そして高校2年の時に高校選手権福岡県決勝に進出するも、残念ながら相手チームに敗退。
高校卒業後も大学でサッカーを続けるつもりでしたが、
家庭の財政状況により進学を諦めざるおえなくなります。
久保竜彦さん卒業し就職するつもりでいましたが、
吉浦茂和さんがより高いレベルで続けさせたいと
サンフレッチェ広島F.Cのに入ることを久保竜彦さんに強くすすめたんだとか。
そして1995年にテスト入団し、3年後には広島のエースとして活躍。
久保竜彦の経歴 ブレイク~引退
サンフレッチェ広島F.Cで活躍していた久保竜彦さん。
しかし2002年末、広島はJ2に降格し、久保竜彦さんは移籍を決意。
2003年には横浜F・マリノスへ移籍し、一気にブレイク。
画像引用元:ゲキサカ日本年間最優秀選手賞受賞するなど素晴らしい結果を残しています。
しかし、タイトなスケジュールの中怪我をするなどコンディションを崩し、
シーズン終盤には腰痛の悪化でサントリーチャンピオンシップなど欠場。
2005年後半には徐々に体調も良くなり、リーグ公式戦や天皇杯に出場。
クラブではリーグ戦10試合出場で2005年シーズンを終えます。
そして2007年横浜FMからの残留要請があったものの、横浜FCへと移籍。
そして浦和レッズとの開幕戦で、
度肝を抜く超ロングシュートを決めた際の「ひょっとこダンス」が話題に。
https://www.sponichi.co.jp/しかしその後も怪我を多くするなどし、戦力外通告を受けます。
2008年、久保竜彦さんは古巣・広島へ6年ぶりに復帰。
体調は万全ではないものの、久保竜彦さんの活躍もあり、J1昇格に貢献。
しかし翌2009年には公式戦2試合途中出場したのみで戦力外通告を受け、
2010年ツエーゲン金沢へ移籍。
広島時代のコーチであった上野展裕さんが監督であったこともあり、オファーを受け移籍。
https://www.ventforet.jp/news/press_release/515715しかし、主力として活躍するも2年連続でJ2昇格が叶わず、
上野さんは監督を退任、久保竜彦さんも構想外となります。
金沢退団後は移籍先を探し、JFL、県地域リーグ、
タイのクラブなどからオファーがあったものの、現役引退を決意。
引退後は、広島県にあるサッカークラブ廿日市FCにてサッカー指導を始めています。
そしてストライカー養成コーチ、アンバサダー(スポーツ親善大使)に就任。
自身も広島県社会人サッカーリーグ1部に所属する廿日市FCに
約2年ほど現役復帰するなど、引退後もサッカーと共に生きてきました。
現在は農業もしてる!
ですがサッカー以外にも農業にも力を入れている久保竜彦さん。
野菜作りに没頭しているといいます。
そして瀬戸内海の離島である牛島で塩小屋に興味をもち塩作りも。
2018年に山口県光市の港町、室積に移住。
移住を決意して、わずか2週間で引っ越したのだとか。
https://kawamoriexpo.jp/kubo-tatsuhiko-wife/
さすがサッカーのプレーも派手なだけあって、やることも大胆です。
そして室積で不定期でカフェを経営しているのだとか。
店名は「室積BASE」だそうですが、
ファンや地元の人からは久保竜彦さんへの親しみも込めて。
「ドラゴンカフェ」と呼ばれているのだそうです。
また久保竜彦さん自身が採取した塩を使い、塩コーヒーを淹れているのだとか。
コーヒー豆も塩で焙煎し、手間隙かけたコーヒーを提供しているのだそうです。
そのコーヒーは味わい深く、地元の人たちからも美味しいと高評価を得ているんだとか。
ですが現在も不定期でサッカー教室を開催しており、
全国へ出張するなど今もサッカーと共に生きています。
これまでのサッカーの経験も活かしつつ、自分のやりたいことも思う存分やる。
素敵な日常ですね。
久保竜彦の娘は2人でサッカーとテニスが凄い!
https://www.instagram.com/サッカーに没頭してきた久保竜彦さんですが、
娘さんが2人いるようです。
2人ともスポーツ万能なんだとか?
では、見ていきましょう!
久保竜彦の長女
サッカーの実力がすごい!
まずは長女の久保柚季(ゆうき)さん。
https://slope-media.jp/幼い頃からサッカーやテニス、空手など、
スポーツのお稽古を掛け持ちしていたのだそうです。
久保竜彦さんご両親は色んな可能性を娘に広げてあげたかったのかもしれません。
そして柚季さんが13歳のとき、
見事1069通の応募の中から選ばれた小中学生45人の中に入り、
「未来のなでしこセレクション」に参加。
柚季さんはミニゲームで決勝ゴールを決めています。
さすが久保竜彦さんを父に持つ娘さんですね。
中学入学後は、広島の女子サッカーチーム「アンジュヴィオレ広島」に在籍。
そしてサッカーの名門校である「広島文京女子大学付属高校」に進学し、
全国大会出場メンバーにも選ばれ、サッカーで高い評価を得ました。
高校卒業後は「神戸市外国語大学」に進学。
大学進学後もサッカーをしたいと考えていた柚季さん。
ですが大学には女子サッカー部がなく、男子サッカー部しかないことから、
入部することを久保竜彦さんや母親から猛反対されます。
大学としても前例がなかったそうですが、
どうしてもサッカーを続けたかった柚季さん。
自分の意思を貫き4年間サッカー部で活躍しました。
「神戸市外国語大学」のサッカー部のブログには
柚季さんの入部する際の気持ちが綴られています。
最初、入部すると決めたときは周囲から驚愕の目で見られるわ、親からは反対されるわでだいぶ迷いはしたけど、やっぱりサッカーをしたいという気持ちに背くことはできず入部を決めました。
女子なので試合には出れないのですが、とりあえずサッカーができたらいいや!という感じでした。引用元:
https://kobecufsfootball.wixsite.com/kcufsfootball/post/kuboyuki
柚季さん、男子に負けないようもがいた4年間だったようですが、
得た手ごたえや一生モノの友達など、
サッカー部は計り知れないものを柚季さんに与えてくれたのだそうです。
https://kobecufsfootball.wixsite.com/
本当に楽しかったそうなので、
父親の久保竜彦さんの心配を押し切ってまで
大学でもサッカー部に入ることができ、良かったですよね。
現在はホテルマン?
大学卒業後は、
「ホテルマンなど海外の人たちと触れ合う仕事をしたい」
と話していたという情報もあるので、
サッカーではなくそちらの道にいかれているのかもしれません。
ですがサッカーが大好きな柚季さん、
現在も何かしらサッカーに携わっているのではないでしょうか。
久保竜彦の次女
テニスの実力がすごい!
次に次女の久保杏夏(くぼ きょうか)さん。
http://news.tennis365.net/杏夏さんは3歳の頃からテニスを始め、小学3年生の頃には
「ニュージェネレーション・テニススカウトキャラバン全国大会」にて、
低学年優秀賞を受賞しています。
杏夏さんは姉の柚季さんがしていたサッカーではなくテニスではあったようですが、
才能を開花させていたようですね。
小学6年生にはジュニアテニスプレイヤーの登竜門と言われる
「DUNLOP SRIXON CUP全国選抜ジュニアテニス選手権大会」で優勝。
輝かしい成績を残しています。
中学生になると、才能を見初められ、
錦織圭選手も指導したことがある、米沢徹コーチからも指導を受けています。
https://jmty.jp/s/tokyo/les-spo/article-i123
米沢徹コーチは杏夏さんのことを「チャンピオンの特性がある」と評価。
杏夏さんは海外遠征もし、数々の大会で優勝しています。
2018年2月3日には父親の久保竜彦さんと共にTBS系「炎の体育会TV」にも出演。
100秒で20枚の的を当てるテニスショット20というゲームにチャレンジし、
19枚を当て好成績を残しました。
杏夏さんのテニスへの愛は強く、
当時「肩にテニスボールのタトゥーを入れたい」などとも話すほど。
現在もテニスプレイヤーとして活躍
父親の久保竜彦さんは娘には口出ししないと公言していますが、
実際のところは杏夏さん曰く、かなり細かいアドバイスがあるのだとか。
歩いているときの姿勢や、食べるものに関しても色々言われるのだそうです。
ジュースはダメだそうで、スポーツドリンクを飲んでいたそうですが、
「スポーツドリンクもダメ」と言われ、
お水しか飲めないといったときもあったのだとか。
スポーツ選手としてストイックにやってきた久保竜彦さんですので、
娘にもアスリートとして何が良いかを口出ししてしまうようですね。
ですが子供の才能をより伸ばしてあげようという久保竜彦さんの娘さんへの愛が感じられますよね。
そんな久保竜彦さんの娘の杏夏さんはテニスを続け、
2019年には元プロ野球選手の石井琢朗さんの
娘・石井さやかさんとペアを組んで活動。
https://sportiva.shueisha.co.jp/
2人は2020年11月のITFジュニア山梨の
U18女子部門で優勝するなど結果を残しています。
2021年も米沢徹コーチに指導されており、今後の活躍も期待されますね。
久保竜彦の嫁も美人で馴れ初めは高校?
https://qoly.jp/久保竜彦さんの嫁はどんな方なのでしょうか?
こちらが嫁の佳奈子さん。
https://slope-media.jp/posts/5673明るそうな方ですね、顔も小さく美人です。
久保竜彦と嫁の馴れ初め
では2人はどこで出会ったのでしょうか?
どうも2人は高校の同級生だったようです。
2人は高校で同じクラスになり、
久保竜彦さんに想いを寄せた佳奈子さんは、
バレンタインデーにチョコを送ったのだとか。
ですが久保竜彦さんはそれをなんとスルー。
ですが、高校卒業間近に久保竜彦さんから佳奈子さんへ告白しています。
2人はお付き合いを始めたのかと思いきや、
それからデートや会話もなかったのだとか。
佳奈子さん、いくら元々想い人だったとはいえ、
スルーされてしまった辛い過去は忘れられません。
しかし卒業し、久保竜彦さんが19才の冬に佳奈子さんに連絡し、
正式にお付き合いが始まったのだそうです。
そして2人は21歳で晴れて結婚!
お付き合いをしてから約2年、
2人の年齢からするとスピード婚のように思いますよね。
結婚は反対されてたけど、監督の後押しがあった
2人のご両親も、
まだ若すぎるし、
収入も安定していないと反対したのだとか。
しかし当時の久保竜彦さんの私生活が荒れていることに
総監督である今西和男さんが心配し、
久保竜彦さんに結婚をすすめたといいます。
というのも、
久保竜彦さんがサンフレッチェ広島でプロサッカー選手として活躍し始めて3年目の頃。
食事はほとんど外食かコンビニで済ませるなど、
食生活もスポーツ選手としてはずさんなものでした。
画像引用元:サンフレッチェ広島
またサッカーをしているとき以外は
チームのメンバーと交流をすることもなかったのだそうです。
久保竜彦さんはチームにも馴染めず、合宿でも1人で食事をしていたんだとか。
そんなこともあり、練習が終わるとすぐ家に帰りたいのか、
他のメンバーが肉体のケアや筋トレをしている中、
そのまま繁華街へ行ってお酒を飲んでは酔いつぶれることを繰り返していたのだそうです。
ですが久保竜彦さんは怪我をした際、
休み規則正しい食生活を送った時には好成績を残していることから、
今西和男さんは早く結婚した方が久保竜彦さんのためだと考えたのだとか。
画像引用元:集英社
そして今西和男さんは2人のご両親に
「彼は私生活が安定すれば日本代表になれる逸材なんです」と両家を説得。
結婚を許可してもらいに行ったといいます。
久保竜彦さんの選手生命が経たれないよう考えてくれるなんて、
素敵な監督で良かったですね!
そして結婚後は私生活も安定し、広島でエースストライカーへと成長。
久保竜彦さんは日本代表選手になったのです。
佳奈子さんの支えがあってこその久保竜彦選手であったようですね。
現在は上記でも述べた通り、夫婦で山口県に住み田舎暮らしを満喫しているようです。
まとめ
元サッカー選手の久保竜彦さんの娘2人は、久保竜彦さんの運動神経を受け継ぎ、サッカーやテニスで華々しい成果をだしていましたね。
また久保竜彦さんの嫁は美人で2人は高校の同級生でした。
現在はサッカーを指導しつつもカフェを営み、田舎暮らしのスローライフを満喫されています。
これからもサッカーは久保竜彦さんにとって必要不可欠なものかもしれませんが、それ以外のやりたいこともやり、人生悔いのないようにしてほしいですね。
